SMD会について

ワッペン

SMD会同志社大学マンドリンクラブの卒業生団体です。
会の名称は、同志社大学マンドリンクラブの通称SMDにちなんで名づけられました。
SMDはイタリア語形の名称から、3つの頭文字「Societa, Mandolinistica, Doshisha」から
採られたものです。

1923年1月21日、武井守成氏主宰「シンフォニア・マンドリニ・オルケストラ」主催による第1回全国マンドリン合奏団競演会が東京帝国ホテルで開催され、1910年創部の同志社大学マンドリンクラブは課題曲ブラッコ作曲「ロマンツァ(無言詩)」と、随意曲マネンテ作曲「メリアの平原にて」を演奏し、見事優勝いたしました。
クラブはこの時からこの名称を使用しています。

SMD会は第二次世界大戦直後の1948年に、京阪神の卒業生およびクラブとの連絡機関として、山口貫成氏を会長に発足しました。
山口会長は夜間の練習場の提供、個々人のテクニック指導等、クラブに貢献しました。

次の大井茂会長の代の頃、学生だけでクラブを運営することが可能となり、卒業生団体であるSMD会もしばらく停滞の時期が続きました。

その後、卒業生も増加したのでSMD会も全国的な組織とし、具体的な事業を行なうこと、併せて会員相互の親睦を計るため、1960年10月、新SMD会創立総会を開催し、会則・役員等を決定して会を再建し、今日に至っています。

現在では現存の会員も約900名を数え、隔月刊発行の機関紙「SMD会通信」をよりどころとして、会員相互の親睦、同志社大学マンドリンクラブへの支援を行っています。
また、学生時代の情熱を忘れず、今もマンドリン・ギター音楽を追求している会員も多数います。

歴代会長
    
山口貫成1948〜1950
大井 茂1950〜1962
山崎喜三郎1962〜1988
岩佐和寿1988〜1997
野口英介1998〜2004
吉村良之2004〜