1949(昭和24)
[1949]
 この頃より従来のはスティール弦にかえてギターにガット弦を用いるとともに、ギターパートのメンバーが三浦英二郎を中心に独奏曲に挑戦する。
 吉村昭メモ

[1949. 1.23]
 第1回同友会茨木音楽会出演
SMD:
 「アンネン・ポルカ」J.シュトラウス
 「ネリーアルバムより」C.ムニエル
 「踊る小花」武井守成
 「ヴィヴァモンツァ」フリゲリオ
 プログラム

[1949. 4.30]
 ウェルカム・コンサート。新入生歓迎音楽会出演。栄光館。
SMD:
 昼:「子供の歌行進曲」C.M.ツィーラー
   「森の逍遥」アレシオス
 夜:「イルバチオ」アルディチ
   「スペイン風セレナータ」ビゼー
 プログラム

[1949. 6.18]
  第43回私演会  エスティユディアンティーナの午後。栄光館。
大八木俊宏・北村恵三(OB)指揮
1部:
 「アダージオ」ベートーヴェン(カラーチェ)
 「村の組曲」グラツィアーニ・ワルテル
 「歌劇ゴエスカス間奏曲」グラナドス(菅原明朗)
 「セレナータ」トセルリ
 「歌劇ペルトの美しき娘行進曲」ビゼー(西田直道)
2部:
  同志社大学グリークラブ:「眠れいとし子」「波と風」「荒城の月」
 マンドリン独奏:「東洋の夢」ドウニス[森英男]
 「ギリシヤ風主題に依れる序楽」ラウダス
 プログラム(私演43)

第43回私演会

[1949. 7.26]
 夏期合宿。呉市沖情島。
11名参加。呉市の小学校で無料演奏会。阿賀町演奏会。
 「Musastudie」復刊号[1953]・「SMD会」4[1964]

[1949.10.30]
 同志社EVEホーム・カミング・デイ音楽会出演。栄光館。
SMD:  「侯爵夫人の館にて」メッツァカーポ
 「ギリシア舞曲」ドゥニス
 「アンダンテとポロネーズ」メッツァカーポ

 他の出演団体の中で四重唱の同志社ヴォーカルフォアとして、加藤雅子(ソプラノ)・加藤テイ(アルト)・西邨辰三郎(テノール)・民秋重太郎(バス)が出演。
 プログラム

[1949.11.19]
 リーダークランツコール第8回発表会賛助出演。栄光館。
SMD:
 「なでしこ」バウマン
 「嘆きの天使」マチョッキ
 「アダジオ」ベートーヴェン
 「女学生」ワルトトイフェル
 プログラム

[1949.11.28]
 創立74周年記念同志社EVE演奏会出演。栄光館。
SMD:
 昼の部:「村祭」カンナ
 夜の部:「侯爵夫人の館にて」メッツァカーポ
     「村祭」カンナ
 プログラム

[1949.12.14]
 武井守成氏逝去。
氏は、日本マンドリン・ギター界の父とされるべきで、斯界に多くの貢献をした。
明治23(1890)年10月11日、鳥取に生まれる。
明治44(1911)年3月、東京外語伊語科第1学年終了。同年5月伊学協会より奨学金を授与され3年の予定で渡伊。所用のため10月帰朝し第2学年に復帰。
大正2(1913)年3月、同校主席卒業、伊国政府より賞金を授与される。この頃より、ギター・和声学を独習する。
大正4(1915)年9月、田中常彦氏の訪問を受けマンドリン合奏を始める。
大正5(1916)年4月、合奏団名を「シンフォニア・マンドリニ・オルケストラ」とし、機関誌「マンドリンとギター」を発刊。同年6月、第1回試演会を武井邸で開く。
大正6(1917)年12月、任宮内省式武官。
大正10(1921)年12月、宮内省楽部長を兼任。
大正11(1922)年7月、英国ボーン氏の文庫大半を譲り受け武井文庫とする。大正12(1923)1月、全国マンドリン合奏団競演会を主催。同年9月1日、関東大震災により楽器・文庫を焼失。同年11月、総会を帝国ホテルにて開き復興について協議し、合奏団名を「オルケストラ・シンフォニカ・タケヰ」と改める。
大正13(1924)年3月、機関誌を「マンドリンギター研究」と改題。第1号発刊。同年10月、創立10周年記念復興第1回演奏会を開く。「マンドリン・ギター及其オーケストラ」刊行。同年11月30日、第2回全国マンドリン合奏団競演会を主催。大正14(1925)年4月、欧州の4文庫を譲り受けて武井文庫を復活。同年10月、「マンドリン・ギター片影」発刊。
昭和2(1927)年1月、襲爵披仰付(男爵)。
昭和4(1929)年11月、創立15周年記念演奏会を開く。
昭和17(1942)年1月、「マンドリンとギター研究資料」第1号頒布。
昭和21(1946)年4月、式部頭に補せらる。
昭和22(1947)年3月、親任官の待遇を受け、願により本官を免ぜらる。
昭和24(1949)年11月6日、O.S.T.復興第1回演奏会を開く。
同年12月14日、逝去。同月20日、特旨を以て従二位を叙せられる。
 (近藤武幹氏調査による)
 プログラム(追悼演奏会[1950.4.30]・私演44)