1951(昭和26)
[1951. 5.26]
  第45回私演会  故山口貫成氏の霊に捧ぐ。栄光館。会費30円。
1部:大八木俊宏指揮
 「オラツイオ兄妹とクリアツイオ兄弟序曲」チマローザ(ポーリ)
 「魅惑島」コック
「アルモール」ベール
2部:
 ギター独奏[三浦英二郎]:   「アルハムブラの想ひ出」タルレガ
  「グラナダ」アルベニス(フォルテア)
 マンドリン四重奏[吉村昭・岩佐和寿・木村裕・安岡慶治]:   「四重奏曲」N.カラーチェ
3部:大八木指揮
 「交響的前奏曲」ボッタキアーリ
 「エカーブの嘆き」ラウダス
 「マンドリンの群」ブラッコ
 プログラム(私演45)

第45回私演会
ポスター

[1951. 6.17]
 ドン・グリー・クラブ第1回演奏会賛助出演。同クラブは社会人の男声合唱団。
SMD:大八木俊宏指揮  「ミレーナ」マチョッキ
 「アルモール」ベール
 プログラム

[1951. 7.25- 8. 7]
 夏期演奏旅行。

仙台付近の車中 1951.7 [提供:坂根晃(昭28卒)]

7月27日:小樽着。花園教会泊。
28日:小樽演奏会。小樽市会議事堂。昼夜2回。会場は港を見おろす小高い丘の上の市役所3階。暑中の数十時間に及ぶ道程の疲労に加えて、新しい土地の最初の演奏会ということもあって、昼の部は一同上がり気味。小樽プレクトラムソサエテイの酒井正忠氏が来訪、色々話をしたが、夜の部はメンバーの人達が全部来場の由で、緊張したが嬉しくも思った。北海道ではプレクトラムの演奏会が少なく、札幌の演奏会では小樽から、小樽の演奏会では札幌から演奏を聴きに来るという。
29日:帯広に向かう車窓からみる広大な景色は素晴らしく、特に狩勝峠のモミの林の中に夏化粧をしたような白樺の美しさは印象的であった。帯広の組合教会泊。
30日:国立帯広療養所慰問後、バスでポプラ並木道を揺られて鹿追村向かう。鹿追村公民館でステージ練習し、同夜演奏会。このような演奏会は初めてのことで、大八木の指揮を前列で真似をする児童が見受けられる。

 帯広市郊外鹿追村公民館

31日:国立十勝療養所慰問。大歓迎を受けアンコールを演奏。夜は、帯広演奏会。於帯広三条高校。
8月1日:お世話を受けた佐藤牧師の同志社チェアにおくられて帯広を立ち、足寄からバスで阿寒国立公園へ2日間の休養。
4日:札幌着。札幌放送管弦楽団指揮者でSMD出身の西田直道の出迎えを受ける。
5日:札幌演奏会。北大中央講堂。演奏会後、学生会館で札幌プレクトラムアンサンブルの九島氏以下のメンバー、北大チルコロマンドリニスティコオーロラのメンバーによる歓迎会。席上、オーロラのメンバーから武井主催のコンコルソで北大が「オラッチオ兄弟...」の練習を完全にし、必ず優勝できる自信があったが急な支障のため参加できず、同志社に優勝をさらわれたことは非常に残念であったとの話がある。また、SMDの音量、特にギターがガット弦で非常な効果を上げているとの指摘があった。

北大中央講堂 1951.8.5
札幌プレクトラム・アンサンブル、北大チルコロ・マンドリニスティコ・アウロラのメンバーと
 
 北大構内クラーク博士胸像前

6日:函館少年刑務所慰問。刑務所と書かれたトラックで送迎。松陰町教会泊。
7日:午前中新聞社・放送局を訪問。2時より北海道最後の函館演奏会。於函館日魯漁業会館。
 以上の吉村昭(S27)の演奏旅行記と酒井氏の音楽評を「ギター音楽」掲載。

 1年生で旅行に参加した藤本和夫(S30)のメモによると、メンバーは指揮者1、第1マンドリン3、第2マンドリン3、マンドラ3、マンドロンチェロ1、ギター8、ゴントラバス1。
また、藤本は『私達が在籍した昭和26~30年は、第2次世界大戦直後の廃虚の中から立ち上がったクラブの復興期(昭和20〜30年)の後半に当たるが、入部したときには既に幾多の先輩によりクラブの体制が出来上がっていた。北海道演奏旅行の編成では20名がやっという状態であったが、技術的にはレベルが高くギター、マンドリンのソリストをそれぞれ1名を擁していたほどであった』と述べ、在籍4年間の特記すべき事項として以下の3点を挙げている。
『①創立以来初めて女性部員を募集し、その後の女性部員入部の道を開いた。②オーケストラ編成を40名にした。数の増加だけでは、音楽的に必ずしも良いことはないだろうが、一時は演奏会開催も危ぶまれことを考えれば、一応の体制整備ができたものと理解している。③従来、SMDはイタリア系の曲を演奏していた。対して京大フィルハーモニックオーケストラは、むしろドイツ系の曲を好んで演奏していた。そこで、ドイツ系の曲・その他新曲を導入し、SMDのレパートリーの拡大に努めた』

帯広演奏会プログラム
1部: 大八木俊宏指揮
大八木俊宏指揮。「バグダッドの大守」ボワイエルデュー
「嘆ける天使」 マチョッキ
「古戦場の秋」小池正夫。
2部:  マンドリン独奏[岩佐和寿]:
  「東洋の夢」ドウニス
 ギター独奏[西村徳]:
  「落葉の精」武井守成
  「アラールの華麗なる練習曲」ターレガ
  「セレナータエスパニョーラ」マラツ(タルレガ)
3部:  「ムーア人のグラナダ」ガルシヤ
 「ギリシヤ風主題による序楽」ラウダス
 「ギター音楽」2[1951]・「Musastudie」復刊号[1953]・「SMD会」4[1964]・藤本和夫メモ・プログラム(小樽)

[1951.10.24]
 福知山文化祭参加「秋のモードコレクション」出演。
当時珍しかったファッションショーにお呼びがかかり、部費稼ぎになると4・5名のメンバーで喜んで出かけたところ、まったくBGMとしての演奏で「楽隊始め!」の号令に一同唖然とする。
 プログラム・坂根晃メモ

[1951.11.28-29]
 創立76周年同志社EVE音楽会出演。栄光館。
SMD:大八木俊宏指
 「ペルトの美はしき娘行進曲」ビゼー(西田直道)
 「初秋の唄」武井守成
 「バグダッドの太守序曲」ボワイエルディユー
 「同志社校歌による七つの変奏曲と終曲」堀清隆
 プログラム

[1951.12. 3]
 大阪協同美容専門学院主催の第1回プレザンタシオンと称する会に出演。
 プログラム