1915(大正4)
[1915]
 富岡勇吉(後に富田姓、大阪トミタマンドリンクラブ創設者)と加藤勝意でマンドリンの二部合奏を行なう。日時・場所・曲目は不明。
 「同志社50年史」

[1915.10. 7]
 グリークラブが神学館講堂で30分音楽会を開いているが、この時美濃部菫がマンドリンを独奏。
 「創立30周年紀念号(グリークラブ)」

[1915.12. 4]
 神戸YMCAでの音楽会で、グリークラブとプリムローズと共にマンドリン合奏団のフォンタナクラブを加えて総勢約50名出演。他に、カーブ、シャイベリー、田中、青木諸氏。同志社の名で京都以外では初めての演奏会で、金・土の両日は委員が神戸に出張して印刷、広告から校友等を回って入場券の販売で東奔西走。12月2日には学内で試演会。演奏会当日は、神戸の外人と試合を行なう蹴球部と同行、3時半からの試合には音楽団も応援した。6時半からの演奏会も盛会であった。
 「創立30周年紀念号」(グリークラブ)・「同志社時報」127[1916])


1916(大正5)
[1916]
 富田常吉、加藤勝意、同好の士を集めてプリムローズ内にマンドリンクラブを設置。
部員の松田芳郎、家垣鹿之助、塩田達二、田中美夫と富田、加藤の6名を3名宛2部に分かち、露口四郎がピアノを担当してこれに参加した。
 「我等ノ同志社」(1935)の“音楽・同志社陣”によると、『由来同志社には明治44年創設のグリークラブ、大正2年創設のプリムローズクラブ、大正5年のマンドリン・クラブ等があり、・・・』となっている。練習場は、今出川烏丸西入南側の調子の良くないピアノが1台置いてある十字屋所有の板間の表屋。
 「同志社50年史」・「SMD会」5[1966]・「同志社校友会同窓会報」100号特輯「我等ノ同志社」[1935]・「Musastudie」3[1956]

1918年(大正7)頃のメンバー
後列左より: 福田嘉樹(大10)、松田芳郎(大7)、田中美夫(大7)
前列左より: 錦光山、上田恵三(大10)、塩田達二(大9)、家垣鹿之助(大9)、富田勇吉(大7)、露口四郎(大7)、加藤勝意(大7)
    [提供:加藤テイ氏]

[1916. 5.30]
 京都の洋楽と題した新聞記事より。『ヴァイオリンに次で最近流行し出したのはマンドリンである。ザルコリー氏が両三年前東京マンドリン団を率いて青年会館に演奏会を開いて以来、此の南欧的な繊麗な音に憧憬して若い人たちは争ふてマンドリンを稽古し初めた。ヴァイオリンよりも比較的入りやすいのとヴァイオリンよりも初心では比較的美しい音が出るので多くマンドリンに赴いたものらしい。これもまだ皆初歩とてギターやタンボリンの用いらるる程度には発達して居らぬ。ヴァイオリン、マンドリンは書生を中心として若い人たちにかく流行して居る。』
 「日出新聞」1916.5.30

[1916. 6.17.]
グリークラブが「第3回歌の夕」を同志社公会堂(現中学チャペル)で開催。
美濃部菫が「トロイメライ」をマンドリン独奏。
 「創立30周年紀念号」(グリークラブ)

[1916.11.28]
「同志社デー、イブ」と称する第1回の同志社イブが同志社音楽会として、同志社公会堂で開かれる。プリムローズがマンドリン合奏を演奏。盛会で入り切れない聴衆は、入り口の所に持ちこんだ机等の上に立って鑑賞したという。
 「同志社時報」評に『大学プリムローズクラブの熱心家によって生れんとするイタリアンオーケストラの卵というので大なる期待を以て聞いた。一つは”Laggiodi luna”と一つは軽快な舞踏曲であった。銀線から流るるセコンドは軽いメロディーと美しいハーモニーを全堂に漂せ、それがピアノの伴奏としっくり合ったあの気持ちのよさ。演奏者は夢の国を行くがごとく、この気心の演奏に対しては聴衆は横手を打って賞賛をおしまなかった』とあり、同志社の音楽活動について『約五年前片桐君のリーダーシップの下に組織されたグリークラブが同志社の音楽開拓者となって以来我同志社内に於ける同趣味の普及発達は実に異数なもので、今では大学部にグリークラブ(約四十人)プリムローズクラブ(約三十人)中学部にダビテクワイヤ(六名)ジュニアグリークラブ(約十五名)女学部にミリアムクワイヤ(約十五人)と云う一大勢力になっているのである。適当なる教師なく、適当の練習所と楽器を有せないにもかかはらず此らの団体が実に驚く可き発達と進歩をなし、美しき友情ある団体として一般学生の羨望の的となり、又我音楽界に重きをなす所以のものは果して何の賜りであらうか』とある。
 「創立30周年紀念号」(グリークラブ)・「同志社時報」138[1917]


1917(大正6)
[1917. 5.25]
 大学英文科学生が、英文学会第1回公会を午後2時より致遠館2階東隅の教室で開催したが、講演・朗読に交じってプリムローズが「讃美歌249」をマンドリン演奏。
 「同志社時報」144[1917」

[1917. 6. 2]
 従来、同志社大学音楽部はプリムローズクラブのみで構成していたが、春よりグリークラブも音楽部に参加。両部の提携後第1回の演奏会として、卒業生送別同志社音楽会を同志社公会堂で開催。プリムローズのマンドリン合奏曲目は「マズルカ」「讃美歌249」「ミニュエット」「ガボット」。
 「同志社時報」144[1917]・プログラム

[1917.11.28]
 創立記念同志社演奏会を大学学友会語学部・音楽部主催で同志社公会堂で開催。
プログラムは原田社長の開会の辞に続き、ミリヤムクワイヤーの女声4部合唱、プリムローズクラブの男声4部合唱、田中教授のピアノ独奏、グリークラブのカンタータ「ダビデ」、語学部の沙劇「ベニスの商人」等で、マンドリン合奏は「同志社マンドリンクラブ」の名で、「Oje Caruri」「A Part of Freischutz」が演奏されている。
「同志社時報」掲載の評によると、「次には軽快なマンドリンの合奏、これは人々に大変満足を与えたらしかったが特に私はあのバンド中にバイオリンに達者な田島君のあったことを記して置く」とある。田島光三は、グリークラブのメンバーで演奏会では、提琴独奏をしばしば行なっている。
 「同志社時報」149[1918]・「創立30周年紀念号」(グリークラブ)


1918(大正7)
[1918]
 奈良演奏会。シャイベリー教授の独唱、杉江秀・長井斉・露口四郎・加藤勝意の四重唱の伴奏も行う。
 「SMD会」2・5[1962・66]

[1918]
 富田勇吉等5名が卒業その他でクラブを去ったが、前年入部した3名のうち上田啓三が指導者となり、ピアノをやめマンドラとギターを加えて、本格的なマンドリン演奏を始めた。技術的にも、ステージの配列の形にも変化を来たした。
 「同志社50年史」

1918年(大正7)頃のメンバー
左より:上田恵三(大10)?、塩田達二(大9)?、加藤勝意(大7)、家垣鹿之助(大9)、富田勇吉(大7)
    [提供:加藤テイ氏]

[1918. 3. 2]
 卒業生送別音楽会。同志社大学音楽部プリムローズクラブ。同志社公会堂。
オルガン独奏・合唱・独唱とともに、マンドリン合奏「ポルカ」ウォルター、「ダンス」モンタ、富岡勇吉(大正7)のマンドリン独奏「こおろぎの舞踏曲」グリーンワルド。
 プログラム

[1918.11. 2]
 西比利亜派遣聯合軍慰問慈善大音楽会。大阪土佐堀YMCA。
英名:The Vocal Concert by Doshisha University Primrose Club.
 プリムローズ・クラブの合唱、シャイベリー氏の独唱、同夫人のピアノ、ウオーターハウス嬢の独唱などと共に、マンドリン合奏「追憶」「ポルカ」が演奏されている。
 なお、富田勇吉(卒業生)がマンドリン独奏で「オーエカルリー」を演奏し、男性四部合唱で田中虎之助氏、杉江秀氏、露口四郎(大正7)、加藤勝意(大正7)が出演。
 プログラム

[1918.11.28]
 同志社イブ音楽会。
校歌演奏、「タンホイザー」「マルタ」「ファウストよりワルツ」「ローエングリンより結婚行進曲」
 「京都音楽史」・「SMD会」3[1962]


1919(大正8)
[1919]
 プリムローズから独立し、「同志社大学マンドリンクラブ」と称する音楽団体として学校当局に認められる。
 両者は互いに独立した団体となっても関係は密接で、特に指揮者は両クラブの指揮者をかねていた。又、従来、第1マンドリンのリーダーが指揮を兼ねていたが、部員も増加し曲も難解のものが多くなったので、正規の指揮者を置くようになった。上田啓三が最初の指揮者という資料もあるらしいが、最初にタクトを振ったのは藤田幾三で、次いで桂直樹が指揮者をつとめ、ここにマンドリンオーケストラとしての陣容を整えた。この年、四国へ演奏旅行を行なった。
 「同志社50年史」

[1919. 5.31]
 同志社大学音楽部大音楽会。京都YMCA。
1部:  合 唱:「御伽歌劇どんぶらこ」(北村季晴)[ジュニアグリークラブ]
 マンドリン合奏:「円舞曲魅力」(アルベルト)[プリムローズクラブ]
 合 唱:「いざ唱はむ」(レウヰス)[グリークラブ]
 シンホニー:[ジュニアグリークラブ]
 合 唱:「海の子」ブラナハム「今宵も唱はむ」キング[プリムローズクラブ]
 ヴァイオリン独奏:「祈り」ハウザー、「思ひ出」ダドラ[田島光三]
2部: 男声合唱:「曳け曳け帆網」ギツフ、「一寸法師」[プリムローズクラブ]
 高音独唱[グラフトン夫人]
 マンドリン合奏「円舞曲月光」アラツシオ[プリムローズクラブ]
 男声四部「望みのささやき」ホーソン、「おいジョンさん」ブラドーリー[グリークラブ]
 女声合唱「あな似つかはしやばら花に」ネヴィーン、「歌のつばさ」メンデルソン[ミリアムクワイア]
 ピアノ連弾「ハンガリアダンス」ベーアブ[シャイヴリー夫人・シューメーカー夫人]
 大合唱:「希望の島」マークジョーン[グリークラブ・プリムローズクラブ・ジュニアグリークラブ]
 「音楽界」19(21)[1919.7]