1920(大正9)

1920年代写真集

[1920]
 SMDの三羽烏といわれた堀清隆、熊谷忠四郎、益戸銈之助が入部。
以後のクラブの発展はこの3名に負うところが大きい。すなわち、堀は指揮・作曲で、熊谷は演奏・研究面で、益戸は財力で貢献した。
 堀は自作のギター独奏曲「舟歌」で武井守成主宰の作曲コンクールで入選し、卒業後は上京して、宮内省に勤める傍ら、武井のオルケストラ・シンフォニカ・タケヰでキタローネを担当、作曲もした。
 熊谷は音楽を知るためにはまず語学をと、伊・独語を習得したが、後までこの気風は引き継がれ、演奏面だけではなく研究面でも優れたクラブとの評判を得る。
 この頃より、イタリアのイル・プレットロ誌、イル・マンドリーノ誌、フランスのエストゥディアンティーナ誌等を入手できるようになった。堀も楽譜収集に奔走した。
 プログラム(定演97)・「SMD会」3[1962]

SMD三羽烏
左より:益戸銈之助、堀 清隆、熊谷忠四郎

[1920. 6. 4]
同志社基督教青年会主催の京都YMCAでの全同志社音楽会に出演。新組織としての最初の演奏会出演となる。
 「同志社50年史」

[1920.11. 1]
 同志社大学学生大音楽会。大阪市中之島公会堂。
マンドリンクラブとプリムローズが演奏。指揮者藤田幾三、第1マンドリン下村安広以下8名、第2マンドリン続木馨以下7名、マンドラ熊谷忠四郎以下3名、ギター矢野豊一以下4名の総勢23名で好評を得る。
 「同志社50年史」

[1920.11.27]
 神戸女学院講堂に於て音楽会開催。
音楽部35名全員参加。聴衆約500名。
第1部で口笛がアンコール「モッキンバード」を吹く。
第2部でマンドリンオーケストラもアンコールされて「思い出」を演奏。グリークラブの4重唱は2回アンコールを受ける。
口笛はグリーの小北(古内)武広で演奏会でしばしば口笛を演奏している。
 「同志社時報」182[1921]

[1920.11.29]
 同志社イブ音楽会。岡崎公園市公会堂。
「同志社時報」に『園先生の司会に海老名総長の挨拶があって愈々音楽会の幕は切り落とされた。始めにマンドリンオーケストラですが、ラステピイルの序曲を撰びギタが三挺迄はいったところにその進歩と苦心を窺はれた。奏曲もキチキチとコンダクターのタクトに合ひまことに気持ちの良いものだった』とある。
 また、別項では『例年の通り催し物の中心地は東寮なり、式後中学生も女学生も大学生も続々押し掛ける。七寮の模擬店は道を隔てた入口に陣取って顧客を惹き付けて居ると、一方三寮は寮前にカフェーパウリスタを呼んで来て人気を集め二つの店が盛んに競争している。お客さんはどちらにはいらうかと戸惑ひの態よろしく中にはどうしたものかとベソを掻いて居る』とあるが、同志社イブ風景は現在と変わらない。
 「同志社時報」182[1921]

1920(大正9)頃
前列左より3人目:家垣鹿之助(大9)、同4人目:富田勇吉(大7)


1921(大正10)
[1921. 2.26]
 チャペルにて4月帰米予定のカーブ教授及び卒業生送別音楽会を開催。グリークラブ、プリムローズ、マンドリンクラブ他出演。
 「同志社時報」186[1921]

[1921. 7. 1- 8. 6]
 グリークラブ夏期演奏旅行。
北陸・北越・東北・北海道・関東地方を演奏旅行。グリークラブ(山口隆俊・原忠明・津下統一郎・鈴木敏重)にマンドリンクラブから矢野豊一が参加している。矢野は、マンドリン3重奏とギターを担当。
 「同志社時報」193[1922]

[1921.10]
 YMCA運動の創始者ジョージ・ウィリアムズの生誕100年(10月11日)を記念して京都YMACAでも各種催しを行なったが、少年少女大会にSMD出演。
 洛陽教会女子青年会の主催で、グリークラブ、マンドリンクラブに森本花子・内藤ひな子・広田咲子のピアノを加えた音楽会を開催。
 「京都YMCA七十年史」・「創立30周年紀念号」(グリークラブ)

[1921.11. 1]
 『若き楽人の妙手に酔うて=聴衆は感激の拍手に終始した中央公会堂の同志社大学演奏会』
『同志社大学プリムローズ・クラブ同マンドリンクラブの大演奏会は一日午後七時から中央公会堂で催された。星の光の寒い雨上がりの夕にも拘らず、満員の盛況を呈したが演奏者が総て青春の血に燃える学生の事とて、聴衆の中にも男女の学生が多数を占めてゐた。演奏はケラ・ベラーの「ルストシヒール」の序曲に始まる。指揮者藤田君のバトンが軽く動くと共に軽快なトレモロがマンドリンに起こって、沈痛なギターの低音が快いリズムをそれに添へて行く。続いて可憐な野の薔薇を歌ったヴェルナーの小曲とホールの聖歌「王の王」が歌はれる。之に続いてシャイベリー夫人、同令嬢のピアノ連弾ハイドンの「第七交響曲」シャイベリー氏の独唱「若き日」破れるような喝采を受けて第二部に入りカンナの「村の祭」のマンドリン合奏に申分のない技巧をみせ、「フラディアボロ」幻想曲を 最後に十時半頃閉会したが、活気に満ちたこの演奏会を嘆称する喝采の響きはしばらく鳴りもやまなかった』
 「大阪毎日新聞」[1921.11.02]

[1921.11.28]
 同志社イブ出演。市公会堂。
「同志社時報」の評に『最列のマンドリンオーケストラが始まった(自分に音楽の鑑賞が十分ならず故駄評しか与へられぬは残念だ)学生にしては実に手に入ったものだ。(略)マンドリンのオーケストラは矢張り善い。殊に素人にとって、音楽を知らないものにはいい』とある。
  「同志社時報」193[1922]