1925(大正14)
[1925. 1. 7-11]
 グリークラブと共に九州地方演奏旅行。
 「創立30周年紀年号」(グリークラブ)

[1925. 1.17]
 京都市公会堂で前年末来日したラファエレ・カラーチェの京都演奏会が、京都帝国大学マンドリン・オルケストラ主催で行なわれる。
 プログラム(定演97)

[1925. 4. 2-10]
 同志社音楽部関東・東北地方演奏旅行。
同志社創立50周年を記念し、東北に宣伝を兼ねて演奏旅行。一行は、片桐哲教授の引率のもとSMDと同志社コーテットの太田黒養二(プリムローズ)、秋間勝二・津下統一郎・鈴木重敏(グリークラブ)の23名(東京までは25名)。
4月2日:静岡演奏会。メソジスト教会。校友寺澤愛之牧師等が委員となり開催。同氏の教会の機関誌「同仁」に新島襄の記事と共に1面を割く。
3日:東京芝浦のラジオ局でSMDは「船人の組曲」アマディ中の2曲を放送。放送を聞いた武井守成氏より賞賛の電話。
4日:新築の東京青山青年会館で演奏会。SMDは「ミニュエ・ロマンティク」堀清隆、「第一前奏曲」大沼哲、「組曲スペイン」ファルボ、「第一奏鳴曲」菅原明朗と、菅原氏指揮、大中寅二のオルガン伴奏で「麦祭」マチョッキを演奏。盛会裏に終了し、引続き校友・女学校同窓生主催の海老名総長を交えた懇親会。演奏会の純益金632円84銭は後に同志社に寄贈される。
5日:東北学院・同音楽部主催で、仙台市のカルトン食堂で午餐会。6時半より、新築の東北学院中学部講堂で演奏会。この会で片桐は同志社立学の精神を演説(以後の演奏会でも行なう)。
7日:松島に遊び、宿泊。
8日:酒田町公会堂で演奏会。堀清隆、同地の中学・高女・商業3校の校歌をアレンジして、SMDが演奏し大受けする。9日、鶴岡市公会堂で演奏会。ここでも同地の学校の校歌を演奏。
10日:秋田マンドリン・ソサイティ主催で、秋田城内の県会議事堂で演奏会。このころ、裏日本鉄道が京都と直通。
 「創立30周年紀年号」(グリークラブ)・「同志社時報」231[1925]・「マンドリンギター研究」2(5)[1925]

[1925. 6. 6]
第6回私演会 マンドリンの夕べ。京都YMCA。
菅原明朗氏・森本芳雄指揮
 「秘密の結婚序曲」チマローザ(ポーリ)[菅原指揮]
 プレクトラム三重奏「五つのパラフレーズより」菅原「村上・郭・申橋]
 「ワルソーの思い出」ラニエリ[マンドリン独奏:副田壬一]
 「ムーア人のグラナダ」ガルシア、「挽歌」ブラッコ、「軒訪るゝ秋雨」武井守成
 ヴァイオリン・ギター二重奏曲「第一奏鳴楽」グラニアーニ[益戸・堀]
 プレクトラム四重奏「第一奏鳴楽」菅原明朗[副田・伊藤・太田黒・熊谷]
 「祝典序楽」大沼哲
 第1マンドリン3、第2マンドリン3、マンドラ3、マンドロンチェロ2、マンドローネ1、ギター5、コントラバス1、タンブリン、トライアングル、グロッケンシュピール各1
 プログラム(私演6、中野先生謝恩演奏会)

第6回私演会
立てる人左より:森本芳雄、菅原明朗氏、堀清隆、建田鉉吉
第1Mトップ:太田黒養二、マンドローネ:熊谷忠四郎
同 集合写真

[1925.11]
 オルケストラ・シンフォニカ・タケヰ主催の第1回四部合奏コンコルソ、申込が5団体のみであったので中止となる。同志社は、第1・2団の2団体申し込んでいる。
 なお、この年の秋に催される予定であった第3回全国マンドリン合奏団競演会は、大正15年秋に開催することを内定。
 「マンドリンギター研究」2(12)[1925]

[1925.11.17]
 第7回私演会  菅原明朗先生送別演奏会マンドリンの夕べ。京都YMCA。
菅原明朗氏指揮
 「交響的前奏曲」ボッタキアーリ
 「第8コンチェルトグロッソ」コレルリ(菅原)
 「プレクトラム四部楽」ファルボ[伊藤・村上・申橋・熊谷]
 「今日の喜び」武井守成
 「ロマンツァ」ムニエル
 「野趣」ボルゾーニ
 「主題と其変奏曲」ミラネージ
 「第十前奏曲」R.カラーチェ
 「三人の友の組曲」朝の前奏曲:武井守成、真昼の行列:菅原明朗、夜の祭:大沼哲
 『此演奏会を最後に、講師菅原明朗氏が東京へ移って行かれる事になりました。氏は我々に取ってプレクトラム音楽の特異性を開門して下さった恩人であります。我々は氏によって各種の作家の個性、楽風及び之が背景をなす所の各の時代に對する明快なる解釈を與えられ、又音楽の各種の様式に適応せる表現上の正當なる手法を教へられたのであります。氏の存在が我々の芸術生活の中で、如何に重大なロールを演じてきたかは云う迄もありません。エステュディアンティナとしての我々の確固たる前途は実に氏によって示されたのであります。我々は此機会に於いて過去五年に渉り不敏なる我々を敢へて教へ啓発してきて下さった並々ならぬ御労苦に對し感謝の念を新しうすると共に、此の演奏会を以って、送別演奏会たらしめんとするものであります』
 プログラム(私演7、中野先生謝恩演奏会)「同志社50年史」

第7回私演会

[1925.11.21]
 同志社大学連合音楽会。大阪市中央公会堂。同志社阪神音楽同志会主催。
出演団体は同志社大学音楽部、シンフォニーオーケストラ、高商部音楽部。
SMD:  「交響的前奏曲」ボッタキアーリ
 「ロマンツァ」ムニエル
 「今日の喜び」武井守成
 「ギリシア風主題による序楽」ラウダス
 「マンドリンギター研究」3(2)[1926]

[1925.11.28]
 同志社イブ音楽会。昼夜2部、京都市公会堂。
同志社開校以来空前の大音楽会。出演は、SMD、グリークラブ、プリムローズクラブ、シンフォニー、ハーモニカ、女専コーラス、女学校普通部コーラス、中学ホザナクラブ、及び初めて結成された混声合唱団の他に、柳兼子、竹内禎子、曽我部静子、内田栄一、シャイベリー教授、カーブ教授。
 グリークラブは大正12年の同志社イブで本邦初演時(ピアノ伴奏)不出来だったメンデルスゾーンの作品68「芸術の使徒へ捧げる祝祭歌」を京都二中の吹奏楽をバックに好演した。森本芳雄(昭3)の回顧によれば、夜の部で菅原明朗氏と、恐らく益戸銈之助(大14)が「応援しましょう」と、チューバ代わりにコントラバスを演奏した。このように当時は、お互いに行来していた。例えば、森本はSMD の指揮もし、当時誕生したばかりのシムフォニーオーケストラの音頭もとっていた。
 「創立30周年紀年号」(グリークラブ)

[1925.11.29]
 大阪放送局にて午後3時演奏放送。
曲目は「三人の友の組曲」、副田のマンドリン独奏「接吻と愛撫」ロッシ、四部としてファルボの四部曲中のスケルッツオ。
 「マンドリンギター研究」3(2)[1926]