1926(大正15)
[1926. 4]
 神学館(現クラーク記念館)で新入部員歓迎会開催。演奏も行なったようである。
 「SMD会」4[1964]

[1926. 4. 9-13]
 北陸演奏旅行。
一行19名のメンバーは、指揮(申橋)、第1マンドリン(伊藤栄・草刈・柴田)、第2マンドリン(大井・伊藤義・亀山・山崎)、マンドラ(太田黒・広松・下山)、マンドロンチェロ(ブラッシュ・熊谷)、マンドローネ(建田)、ギター(赤井・北村・須藤)、打楽器(村上)、独唱(太田黒)。
4月9日:名古屋放送局で放送。名古屋第一高女講堂に於て名古屋学生会主催、新愛知新聞後援で演奏会。
10日:福井高女同窓会主催で同校講堂演奏会。福井商業会議所にて演奏会。
11日:高岡城で桜見物の後、演舞館にて同志社加越能県人会主催演奏会。
12日:金沢兼六園見物後、市公会堂にて演奏会。
13日:敦賀演奏会。敦賀座。
 この地方は、校友が少なかったという。学年末にキタローネを購入しているが、上記メンバーにはキタローネの演奏者名がない。会計報告の支出の部によると、キタローネ運賃料として27円かかっている。なお、差引欠損分37円67銭は、部員で平等に補っている。
 「同志社時報」241[1926]

[1926. 7. 4-30.]
 旧満州・朝鮮演奏旅行。
同志社新聞の記事『楽器を携へて優さ男も満鮮へ。温泉でジャヅを弾きロシア人が踊り狂ふ。コーテットの太田黒・直木・秋間・伊藤新太郎君と、マンドリンクラブの森本・副田・伊藤栄三君との一行は片桐教授の監督の下に7月4日午前8時、京都を立って満鮮への音楽行脚の途にのぼり、同月30日神戸へ戻り、一同解散した。有名な同志社音楽部のことであるから、各地で熱狂的歓迎を受け、素晴らしい成功を治めたさうで、一同は各地の先輩諸氏にお世話されたことを感謝してゐる』
4日:夜、備中高梁の教会で讃美礼拝。引続き小学校で演奏会。
5日:午後高梁高等女学校で演奏。夜は倉敷の教会で演奏会。
7日:釜山の太平座で演奏会。
8日:夜、大邱小学校で演奏会。
10日:総督府の午餐会に出席し、食後数曲を演奏す。夜は公会堂で演奏会。
11日:日曜日なので、午前10時から教会で、片桐教授の説教と一行の聖歌で讃美礼拝。午後2時の汽車で仁川に行き、同地で教会の夕の集会を援助し、ついで公会堂で演奏会。
12日:平壌公会堂で演奏会。
13日:安東で公会堂の新築開きをかねて演奏。
14日:鐵嶺で演奏会。
15日:夜、撫順の小学校で演奏会。
16/17日:二晩続けて奉天の公会堂で演奏会。
18日:午前10時から教会で讃美礼拝。四平街へ行き、夜、満鐵クラブ演奏会。
19日:夜、小学校で演奏会。
20日:長春の満鐵クラブで演奏会。
21日:遼陽の小学校で演奏会。
22日:湯崗子の温泉へ行き、泥湯や砂湯に入ったのち夜は浴客のために演奏した。聴衆は殆どロシア人。それが終って、特別に食堂でマンドリンコーテットがジャズを奏すると、ロシア人たちは大悦びで踊りぬいた。
23日:鞍山の満鐵クラブで演奏会。
24/25日:ともに夜青年会館で演奏会。25日午前には、教会で讃美礼拝。
28日:前日の午前10時に乗船したハルピン丸が玄海灘を進航しているとき、船客のために演奏。
 旅行日数27日、演奏会25回。
 「同志社新聞」1926.9.27

[1926.11.10]
 第8回私演会 故榊原克己氏の霊に捧ぐマンドリンの夕べ。京都YMCA。
北村恵三指揮
1部:
 「祈願」サルベッティ
 「ト長調四重奏曲」ムニエル[村上・伊藤・申橋・広松]
 「夜曲」コペルティーニ
 「ミヌエット」ボッケリーニ(ポーリ)
2部:
 「スケルツオ 第二交響曲より」ベートヴェン
 「ナタレ(牧歌)」アマデイ
 「歌劇ヨセフ序曲」メウル
 『私等は今夕の演奏をプレクトラム音楽研究の半途にしてたおれた、當クラブ員榊原克己君の霊に捧ぐ』
 プログラム(私演8)

[1926.11.26]
 同志社イブ音楽会参加。昼夜2回、市公会堂。
同志社新聞より演奏会の様子を引用すると『1時15分海老名総長がヤヲラ立ち上がって開会の辞を述べられる。創立51周年記念大音楽会の幕はマンドリンクラブの演奏を以て開かれた』
引続き『夜の混雑は例年の経験でこりこりしているので役員連は大わらわとなって奮闘するが押し寄せる大群衆にはとても勝てぬ。あっちこっちでもみ合押し合、さては役員と入場の事で喧嘩とくる。音楽を聞かうと出かけて来る人に似合わぬ乱暴な人があるのには毎年々々役員が泣かされると大コボシ。階上が本校学生席なので、上から下を見おろして美々しく着飾った令嬢や奥さん方を野次り出す。紙でトンビを造って上から飛ばしてそれが別嬪さんにあたるとヤーツという大騒ぎ』だが、『最後に一同起立、厳粛な気持ちに立ち帰って、同志社ソングを合唱し、...上も下もあらん限りの熱誠をこめた同志社チヤーを叫んで解散した』
 見出しには『母校の創立を寿ぐ華やかな初冬の宵』とある。
 「同志社新聞」[1926.12.7]

[1926.12. 5]
 稲荷、伏見付近の京阪沿線の同志社学生の組織「城南会」主催で、伏見十六館で昼夜2回の大音楽会にプリムローズクラブ・高商ハーモニカソサイティと共に参加。これは、同会が行なっている小学校児童のための夏期学校基金募集のため開催したもの。
「同志社新聞」[1927.1.19]