[1929. 1.10]
同志社イブ演奏会の代わりとされた送別記念音楽会が、学友会理事会で中止となる。
「同志社新聞」34[1929.1]
[1929. 1.26]
大学高商県人会・和歌山好楽会主催「マンドリンとテノールの夕」演奏会。和歌山市公会堂。指揮は、北村恵三。テナー出演は、酒井・太田黒。
「同志社新聞」34[1929.1]/35[1929.2.1]
[1929. 1.27]
和歌山演奏会の帰途、JOBKからカルテット、クインテット放送。
「同志社新聞」35[1929.2.1]
[1929. 2.13]
卒業生送別演奏会。
「Musastudie」5[1929]
[1929. 3.23- 4.12]
会堂建築資金調達のため那覇YMCAの招きで沖縄演奏旅行。
グリークラブ、プリムローズクラブ、SMDの合同選抜チーム。メンバーは、グリークラブから酒井美智男・山田基男・宇野勇次・松本淳・上家・荒井清、プリムローズから山崎喜三郎・長谷川常次郎・江村健三・神康生・下山鉄之助で、そのうち山崎(第1マンドリン)・酒井(第2マンドリン)・荒井(マンドラ)・下山(ギター)はマンドリンクラブにも籍があった。
3月23日:大阪から台中丸に乗船し神戸に1泊後、奄美大島の名瀬に寄港しながら4日程かけて那覇着。
31日:那覇日本基督教会で賛美礼拝。
4月1・2・4日:那覇市公会堂で演奏会。
3日:は首里市師範学校で演奏会。曲目は「ミルタリヤ」「侯爵夫人邸にて」「ミレーナ」「カイロの想い出」他数曲。
7日:大義丸で出港。名瀬経由。
10日:鹿児島港入港。
鹿児島で演奏会後、12日、鉄道で鹿児島を出発し帰途に就く。
|
|
|
沖縄演奏旅行スナップ [提供:故長谷川常次郎教授夫人 政子氏] |
那覇での音楽会の会計決算書によると、入場料・広告料による収入が1,117円80
銭。支出が旅費・会場費・プログラム作成費等、1,006円45銭で収益111円35
銭は那覇YMCAと日曜学校に収めた。
町の要所に掲示されたポスターには「日本学生音楽界の最高峰、同志社大学音楽部学生一行十数名来演」とあった。演奏会は連日満員でこの種の会で入場料50銭というのが初めてのことで危ぶまれていたのが、杞憂となった。観光等、歓待を受ける。
「創立30周年紀年号」(グリークラブ)
[1929. 5.17]
武井守成、菅原明朗両氏、合奏コーチのため同志社来訪。
「SMD会」5[1966]
後列左より
豊永誠蔵、千々岩乾太、山口貫成、酒井美智雄、大川盆雄、西田直道
中列左より
岩間藤一、入山春見、久保田是達、大井茂、和田弘、土井四郎
山口順七、服部修、西村保正、有村良治
前列左より
山崎喜三郎、熊谷忠四郎、菅原明朗氏、武井守成氏
建田鉉吉、広松徳治、下山鉄之助、北村恵三
[1929. 6.15]
第13回私演会 エスティユディアンティーナの夕べ。華頂会館。
北村恵三指揮
1部:
「ニ短調序楽」ファルボ
「夜に寄よする三つの小品」堀清隆
2部:
「アンダンテ(ハ短調セレナータより)」モーツァルト
「初秋の唄」「春のノスタルジア」武井守成
「メリヤの平原に立ちて」マネンテ
プログラム(私演13)
[1929. 6.25]
アーモスト大学学生代表モズレーの帰米に際し、送別会を兼ねた音楽会を同志社公会堂に於て開催。SMDは「若人の集い」ベルキを演奏。
「同志社校友同窓会報」33[1929]
[1929. 7. 1]
日本ビクターより堀清隆作曲「主題と変奏」のレコードが菅原明朗指揮オルケストラ・シンフォニカ・タケヰの演奏で発売される。
「マンドリンギター研究」6(4)[1929]
[1929.11.16]
第14回私演会 エスティユディアンティーナの夕べ。華頂会館。
北村恵三指揮
1部:
「村人の合奏」モーツァルト(菅原明朗)
四重奏「春に寄する」ミラネージ[山崎・入山・久保田・広松]
2部:
「交響的前奏曲」ボッタキアーリ
「組曲初夏に寄する」堀清隆
「ギリシヤ風主題に依れる序楽」ラウダス
プログラム(私演14)
[1929.11.24]
オルケストラ・シンフォニカ・タケヰ京都演奏会。岡崎市公会堂。
指揮は武井守成・菅原明朗氏。演奏会の準備等を益戸銈之助・熊谷忠四郎を中
心としたSMDメンバーで手伝う。前23日は、大阪演奏会。於朝日会館。
「マンドリンギター研究」7(1)[1930]