1936(昭和11)
[1936. 4]
 菅原明朗氏が香櫨園の熊谷忠四郎宅に宿泊の時、山口信雄・依田茂・中村千悦の3人が27回私演会の曲目について相談に行き、山崎喜三郎・西田直道も交えて談が深夜まで及んだ。その中で、菅原氏より秋に慶応マンドリンクラブと合同演奏会を開いてはどうかとの話が出た。その後、3人は急遽上京、服部正氏や慶応のメンバーと打ち合せをし、実現の運びとなった。
 「SMD会」2[1961]

慶応大学交歓演奏会のための打ち合わせ 大阪「三宅」
後列左より:熊谷忠四郎、山口信雄、丹治(依田)茂、申橋定一郎、服部 修
        坂本春雄、山口直泰、瀧 久雄
中列左より:山崎喜三郎、斉藤作造、市田勇、大井茂、富田勇吉、加納和夫
前列左より:小山金三、下村安弘、菅原明朗、副田壬一、井上良吉

[1936. 5. 2]
 音楽部主催の新入生歓迎音楽会に参加。栄光館。
 「同志社新報」2[1936.5.15]

[1936. 6.21]
 第27回私演会 エスティユディアンティーナの夕べ。華頂会館。
永田信正・菅原明朗氏指揮
1部:
 「アンデスの花」デ・ジョバンニ
 「挽歌」ブラッコ
 「夜曲」コペルティーニ
 「組曲村の祭」カンナ
2部:
 「アルルの女組曲抜粋」ビゼー(大前太郎)
 中川牧三テノール独唱(オーケストラ伴奏、大前編曲)
  「ナポリ夜曲」タリアフェルリ
  「窓の灯は消えて」ベルリーニ
  「グァツパリーア」ファルヴォ
  「子守唄」ベネルリ
  「グラナダの哀歌」カリエハ
  「虞美人草」ラカリエ
  「覚めさせないで」タリアフェルリ
 「アリス・ポルカ」J.シュトラウス(菅原明朗)
 「アンネン・ポルカ」J.シュトラウス(菅原明朗)
 プログラム(私演27)

第27回私演会

[1936.10.30]
 同志社創立記念音楽会(昼夜2回)
 「同志社・慶応両大学合同演奏会ニ関スル件」

[1936.11. 9]
 慶応義塾マンドリンクラブ第47回演奏会。
(第1回慶応同志社合同演奏会)
 於東京軍人会館。
1部:
合同演奏:(約70名)服部 正氏指揮
 「オラッティオ兄弟とクリアッティオ兄弟」チマローザ(ポーリ)
慶応:服部氏指揮
 「ゴエスカスの間奏曲」グラナドス(菅原明朗)
 「アンダンテとポロネーズ」メッツァカーポ
 「カプリチオ・スパニオール」ムニエル[マンドリン独奏:慶応森田茂氏]
2部:
SMD:

永田信正指揮
 「プレリュード・シンフォニコ」ボッタキヤリ
菅原明朗氏指揮、太田黒養二独唱
 「秘密の結婚アリア」チマローザ(菅原)
合同演奏:菅原氏指揮
 「アンネン・ポルカ」J.シュトラウス(菅原)
 慶応歌「丘の上」
 部歌「S・M・D」菅原明朗

 武井守成氏評『同志社と慶応は古くから知られている。(略)私達が第一回の全国マンドリン合奏団コンコルソを開催した時同志社は申込が遅れその為に主催者としての私達は一度此参加を拒否したのであるが慶応は之を深く遺憾とし他の参加団体に計って同意を得、主催者に通告して之を参加せしむる事と成った。此麗しい挙は当時主催者たる私達には勿論一般の非常な感動を買ったものである。(略)同志社は菅原明朗氏の指導を受けること古く、慶応は現在の指揮者服部正氏が音楽理論に於て菅原氏の門を出でた為必然的に両大学は一層近接して行く関係を生じた。今日の合同演奏会も当然の結果であると云える。(略)兎に角此合同演奏会は表面的には勿論内容的にも近来での傑作であり、斯うした企てが近来沈滞して居るマンドリンアンサンブル界を力づける上に多大な効果のあるのを信じて疑わない。実行の困難は想像以上であらうが毎年一回位催されたなら如何ばかりか結構な事であらう』
 この演奏会に当たって、SMDも理事(山口信雄)をはじめとして、委員・先輩代表・応対係・会計・楽譜係・記録係・運搬係・欠席届責任者・旅費徴収者・切符係の役員を決めて東上している。

東京に向かう菅原明朗氏とOB達 大船駅にて
1936.11.8 [提供:山崎喜三郎 S6卒]
左より:佐野誠一、大井茂、菅原明朗、申橋定一郎
    熊谷忠四郎、西田直道、山崎喜三

慶応大学より贈られた記念品

 出発は、7日午前10時20分京都発の急行で、東京着午後7時45分。旅費は片道で4円51銭(学割)急行券2円。慶応と挨拶交換後直ちに宿舎の日本青年会館に向かう。8日昼夜と演奏会当日の昼は練習。演奏会後茶話会を行い解散のスケジュール。行動に当たって以下のような規則を定めている。
・解散までは部員の自由行動は絶対に許さず。
・解散までは宿も共にすること。他泊は許さず。
・定期演奏会練習につき、部員は15日中に帰洛のこと。
・役員は各自の役割に責任を負うこと。尚役員以外のものは運搬係のトランク等に援助のこと。
・服装。黒服、黒靴、黒靴下、白ワイシャツ又はカッターシャツ。制服制帽。
 プログラム(同演奏会、定演97)・「マンドリンギター研究」13(11)[1936]・「同志社・慶応両大学合同演奏会ニ関スル件」

[1936.11.23]
 第28回私演会 エスティユディアンティーナの夕べ。華頂会館。
永田信正・菅原明朗氏指揮
1部:
 「オラッチ兄弟とクリアッチ兄弟」チマローザ(ポーリ)
 「アンネンポルカ」J.シュトラウス(菅原明朗)
 中村千悦マンドリン独奏「演奏会用マヅルカ」ムニエル
 山口信雄ギター独奏「タンゴ」タルレガ、「マンドリンの想ひ出」リコルディ
2部:
 「オリアンタール」クヰ(菅原)
 「ガヴォット」オルンシュタイン(菅原)
 「アンダンテ」ストラヴィンスキー(菅原)
 中川牧三テノール独唱
  「漁火」タリアフェルリ
  「愛の漁夫」バルテレミ
  「マレキアーレ」トスティ
 「交響的前奏曲」ボッタキアーリ
 プログラム(私演28)

第28回私演会


1937(昭和12)
[1937. 1. 9]
 名古屋会主催で同志社大学音楽の夕べを新装なった名古屋新聞社講堂に於て開催。
定刻前会場は既に聴衆あふれて立錐の余地無しの盛会に終わる。

1部:
 校歌[ SMD
 「春の調べ」本曲二重奏[邦楽部]
 ハワイヤンギター[ギター部]
 マンドリン合奏[ SMD
 「三段」[邦楽部]
2部:
 ハワイヤンギター[ギター部]
 マンドリン独奏[中村千悦]
 尺八独奏
 ヴァイオリン独奏[宮本政夫]
 「満州の春」[邦楽部]
 ギター独奏[山口信雄]
 マンドリン合奏[ SMD
 「同志社新報」10[1937.2.15]

[1937. 1.16]
 卒業者(依田 茂)送別会

京都「千也」 1937.1.16 [提供:山崎喜三郎 S6卒]
後列左より:中努吉雄、五島道信、畑中重雄、不明、植木英治、銭谷順次、山崎喜三郎、山口信雄、店員、浜田薫
中列左より:中村千悦、店員、大井茂、加藤重徳、飯田、
前列左より:西田直道、熊谷忠四郎、依田茂、田畑忍先生、(一人おいて)金崎種三

[1937. 6.19]
 第29回私演会 故広松篤治氏の霊に捧ぐ。エスティユディアンティーナの夕べ。華頂会館。
中川驍・菅原明朗氏指揮
1部:
 「交響曲ロ長調ルチオシルラ」J.C.バッハ(西田直道)
 「第1四重奏楽」C.ムニエル
 「メヌエット」ハイドン(西田)
 「アンダンテ」モーツァルト(西田)
 「エリゼの為に」ベートーヴェン(西田)
2部:
 「グノスの女第一番」サティ(西田)
 「眠れる森の精のパヴァーヌ」ラヴェル
 「ヴァルス」プーランク
 ギター独奏「グワヒーラス」「グラナディーナス」「ソレアレス」以上マタリアーナ[山口信雄]
 「西班牙組曲」ファルボ
 プログラム(私演29)

[1937.10.30]
 創立62周年記念音楽会。
伝統のイブ音楽会が「全同志社学園愛国音楽会」と改名され、プログラムに「日の丸」「国威弥栄」「皇軍万歳」等が色刷りされた。
 「Who are we」

[1937.11.22]
  第30回私演会 同志社慶応交歓大演奏会 京都朝日会館。
中川驍・菅原明朗氏・服部正氏指揮
1部:同志社
 「黎明」ファンタウッチ
 「歌劇ペルトの美はしき娘行進曲」ビゼー
 テノール独唱「ロリータ」ベッチア、「グラナーダの哀歌」カリエハ、「愛の傷手」ベッチア、「ホータ」セラーノ[中川牧三]
2部:慶応
 「レナータ」ラヴィトラーノ
 「ヴォードヴィル大学生第2幕前奏曲」カッサーニ
 ソプラノ独唱「歌劇椿姫ヴィオレッタのアリア」ヴェルディ[瀧田菊枝]
3部:合同演奏
 「二組のオルケストラの為の交響楽」J.C.バッハ(菅原)
 「ギリシア風主題によれる序楽」ラウダス
 「勝利の父」ガンヌ(服部)
 「丘の上」管原
 「行進曲SMD」菅原

 慶応大学マンドリン倶楽部を京都に迎え、大阪朝日新聞後援の軍用機献納運動協賛。大阪朝日新聞の記事に『愛国のリズムは高し、純益金は軍用機資金へ』とある。会員券は、1円と50銭。
 プログラム(私演30)・「大阪朝日新聞」1937.11.11

第30回私演会 [提供:南石きぬ氏]