[1965. 3.21-30]
春期演奏旅行。
3月21日:松本演奏会。松本市民会館。
23日:松坂演奏会。松坂市公会堂。
24日:豊橋演奏会。豊橋市公会堂。
25日:奈良演奏会。奈良市庁別館。
27日:岐阜演奏会。岐阜市民センター。
岐阜演奏会 |
28日:富山演奏会。富山市公会堂。
29日:小松演奏会。小松市公会堂。
小松演奏会 |
松本演奏会プログラム
1部:田中昭彦指揮
「ハレオ・デ・ヘレス」アマデイ
「トナーレ山の夏の夕暮れ」サルベッティ
「イタリーの復活」アネリ
2部:
ギター・ソロ
ギター三重奏[野村迪子・田中克己・岩手仁孝]
フラメンコ・ギター[真田幸保・岸辺信・金光敦哉]
3部:
カンツォーネ特集:藤井義朗指揮、門内靖彦マンドリン独奏
「帰れソレントへ」「カタリカタリ」「マリアマリ」
「彼女に告げよ」「わがために歌え」
4部:藤井指揮
「ウィンナワルツ集」シュトラウス
「ハンガリア狂詩曲」リスト
田中メモ・プログラム(松本)
[1965. 5. 1]
部内発表会。京都市公会堂。
田中メモ
[1965. 5. 8]
第2回京都学生マンドリン連盟合同演奏会。京都会館第2ホール。
5部:SMD:田中昭彦指揮
「ハレオ・デ・ヘレス」アマディ
「ロマンツァ」ブラッコ
「イタリアの復活」アネリ・トリゴロ
プログラム
[1965. 5. 9]
同志社創立90周年記念県連主催音楽祭出演。京都会館第2ホール。
プログラム(定演67)
[1965. 5.15]
土曜コンサート。円山公園音楽堂。
SMD:田中昭彦指揮
「なでしこ」バウマン
「愛の喜び」マルティーニ
「トナーレ山の夏の夕暮」サルベッティ
「スペインの姫君」マルキーナ
プログラム
[1965. 5.25]
ジョイントコンサート出演。京都会館第2ホール。
SMD:田中昭彦指揮
「古戦場の秋」小池正夫
「浜辺の歌」成田為三(中野二郎)
「波浮の港」中山晋平(平吉功樹)
プログラム
[1965. 6.19]
第66回定期演奏会
大阪毎日ホール。
1部:藤井義朗指揮
「ローマトリノ」デ・ジョヴァンニ
「フローレンスの思い出」ベルレンギ
「アラブの行列」バルヴァス
「一つの星」ミリロッティ(ベルレンギ)
2部:田中昭彦指揮
「コシ・ファン・トゥッテ序曲」モーツァルト(ヴィツァリ)
「ロマンス ヘ長調」ベートヴェン(コルマネック)[門内靖彦マンドリン]
「フィガロの結婚序曲」モーツァルト(ラウダス)
3部:
ギター二重奏[岡田俊純・田中克己]
「郭公鳥」ダカン
「ガボット」J.S.バッハ
フランメンコ・ギター[岸辺信・谷川昌夫・入江兵次・金光敦哉]
4部:藤井義朗指揮
「砂漠の沃地にて」マルティ
「祈り」メッツァカーポ
「劇的序楽」アネリ
第66回定期演奏会 |
昼夜公演の幕間にSMD会理事会、総会開催。アンサンブル・ドマンについて『本会員を以て構成するアンサンブル・ドマンを本会の正式合奏団と認め、その育成を援助する』ことを会則に追加し、正式にSMD会直属の団体となった。
プログラム(定演66)
[1965. 7.26- 8. 4]
夏期合宿。長野県美鈴湖畔。
参加者200名を越す。中野二郎氏はこの頃のことを回想して、『春夏の合宿練習が終ると必ず数ケ所に演奏旅行に出かけた。当時はメンバーの数も多く人数の制限もあって全員では出かけられないので人員数を搾らなければならない。練習の力を抜いてはならないので、幹事[幹部]はこの人選に苦労し、予定の練習が完全に終った日の最後にその氏名を発表した。誰しも演奏旅行には加わりたいので、規定の1日10時間ちかい合奏練習のほかに、朝はまだ明けやらぬうちから起きて、近くの野原や川べり、山かげに楽器を持ち出して夫々の練習にせい出して点数を稼いだ。
[合奏部員の]半数近い人達がこの人選に洩れることになるので、始めから諦めている者もあるが、ギリギリの線にいて期待していたものが外されると、憤懣やる方なくヤケ酒を呷るものもあった。年2回の定期演奏会を含めて大小合わせて40回近い演奏会を持つことは珍しくなかったので、私はもう少し回数を減らして肌目細かい質の向上を目指すべきだと主張したことが幾度かあったが、僅か10年の歳月はそうした面影をすっかり失い、むしろ懐かしくさえ思うようになって了った』と述べている。
プログラム(謝恩演奏会)・プログラム(静岡1976)
[1965. 8. 6-13]
夏期演奏旅行。
8月6日:高松演奏会。高松市民会館。
8日:高知演奏会。高知市農協会館。
9日:徳島演奏会。徳島文化センター。
10日:松山演奏会。松山市民会館。
12日:岩国演奏会。岩国高校講堂。
13日:宇部演奏会。渡辺記念館。
松山駅前で |
宇部演奏会プログラム
1部:田中昭彦指揮
「降誕祭の夜」アマデイ
「山吹く風」モルラッキ
「ローラ」ラヴィトラーノ
2部:
マンドリン・ソロ
ギター二重奏[岩手仁孝・今村三七子]
フラメンコ・ギター[金光敦也・広重征男・鈴木博之・小林祐三]
3部:竹内鉄平指揮
日本のしらべ
「夏は来ぬ」「ヤシの実」「ふるさと」
「城が島の雨」「浜辺の唄」
4部:藤井義朗指揮
「時の踊り」ポンキェルリ
「ローレライ・パラフレーズ」ネスバドバ(ラニエリ)
「聖ボニファチオのオヴェルト伯」ヴェルディ
田中メモ・プログラム
[1965. 9.11]
第1回東京演奏会。東京文京公会堂。創部55周年記念。
1部:田中昭彦指揮
「前奏曲」ラニエリ
「降誕祭の夜」アマデイ
「山吹く風」モルラッキ
「ローラ序曲」ラヴィトラーノ
2部:
フラメンコ・ギター[岸辺信・谷川昌夫・真田幸保]
「アレグリアス」他
3部:
イタリアへの招待:藤井義朗指揮、門内靖彦マンドリン独奏
4部:藤井指揮
「聖ボニファッチオのオベルト伯」ヴェルディ(C.ムニエル)
「ローレライ・パラフレーズ」ネスバドバ(ラニエリ)
「時の踊り」ポンキエリ(ビルリ)
全日本学生マンドリン連盟機関誌「Mandolinist」の評『私達東京にいるものにてって関西の大学の演奏を聞けるチャンスが少ないので、この演奏会に非常な興味を持ち、又期待して聞きました。そしてこの期待に応えて、きめの細かい、又一方では学生らしい演奏を聞き、大変勉強になりました。普段、私達の演奏会では聞く機会の少ない曲を数多く演奏され、かなりのテクニックを要求される曲をあれだけ見事に演奏された同志社大学マンドリンクラブの日々の努力は私達の今後の一つの指針になる事でしょう。そして満員の聴衆を集められたこと等、考え合わせましても、この東京演奏会は成功に終ったと言えましょう』
マネジメントは、松岡良晴と米華克介。演奏会終了直後のステージで松岡大泣き。
プログラム(東京演奏会)・「マンドリル」5
[1965.10]
この頃、コンコルソの優勝カップ2個のうち1個が行方不明になっているのが判明。のちに、練習場にしていた同志社幼稚園で発見。
「SMD会」5[1966]
[1965.10. 3]
部内発表会。京都市公会堂。
プログラム(定演67)
[1965.11.17]
第67回定期演奏会
京都会館。
1部:田中昭彦指揮
「レナータ」ラヴィトラーノ
「グラウコの悲しみ」マッツォーラ
「村の祭」カンナ
「ダンテとベアトリーツェ」グラティアーニ・ワルテル
2部:アンサンブル 藤井義朗指揮
「剣の舞」ハチャトリアン(藤井)
「夕べの幻想」サンサーンス(ファンタウッツィ)
「愛の夢」リスト(ムニエル)
「ハンガリア狂詩曲2番」リスト(ビルリ)
3部:藤井指揮
「望まれし日々」ブランツォーリ
「ソナチネハ長調」ベートヴェン
「マンドリナータ」カロシオ
「ハンガリアの黄昏」ベルッティ
プログラム(定演67)
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第67回定期演奏会 |
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[1965.11.28-29]
同志社創立90周年記念グランド・ミュージック・フィエスティバル出演。同志社大学会館ホール。
SMD:「グラナダ」ララ、「エスパニア・カーニ」マルクィーナ、「マラゲーニア」レクォーナ。
プログラム
[1965.12.12]
フェアウェルパーティ。京都タワーホテル。
プログラム(定演68)